高級時計のモデルの中に、「独立時計師」とコラボというコピーをみかけることがあります。時計業界では特別な存在である独立時計師は、世界でもほんの一握りだけの人たちのことをさしています。

ここでは、独立時計師とは、独立時計師アカデミーについて、アカデミーの日本人会員や他の有名独立時計師について解説します。時計ファンを魅了する独立時計師の世界に引き込まれます。

目次

独立時計師とは

「独立時計師」とは、メーカーに属さずに個人の小規模工房などで、時計を製作する人のことをさします。

大半の独立時計師は、ムーブメントは世界最高峰といわれるETA社製を使うことやケースのみ外注することが多いですが、中にはねじ一本から文字盤のデザインまですべてを手掛けて腕時計を完成させる強者の独立時計師、または独立時計師とチームの組み合わせの工房などもあります。

大手腕時計ブランド、例えばセイコーやドイツのランゲ&ゾーネなどはねじ一本から「完全マニュファクチュール」をしているところもあるでしょう。分業が進み、ある程度の時計職人がいるからこそできると考えられています。

個人の独立時計師が、単独またはチームで完全マニュファクチュールをするのはかなり稀なケースですが、実際に完全マニュファクチュールをしている独立時計師も存在しています。

ほとんどの独立時計師が手掛けるのが、作るのに高度な技が必要な機械式腕時計で、自身のブランドを立ち上げて店舗展開する独立時計師もいます。独立時計師が生み出す時計には、デザインや機能性の高さはもちろん、希少性が高いものが多いともいえます。

独立時計師によっては、1年間に1本の腕時計しか制作できない、あるいは1本のみの制作と決めている時計師もいます。チームで作製しブランドを持っているにしても、年間数十本しか制作できないこともあるでしょう。

こだわった腕時計の制作には、当然時間がかかりますし、大量生産はできないため、それだけ希少性もアップするでしょう。ちなみに、独立時計師の腕時計は、一千万円台から億単位のものまで様々です。

有名独立時計師のみが入会する独立時計師アカデミー

独立時計師と呼ばれる職人は、ある程度存在します。時計業界でいう「独立時計師」は、独立時計師アカデミーの会員のことを指すことが多いでしょう。
数十人の独立時計師で構成する国際組織で、正式名称はAcademie Horlogere des Createurs IndependantsといいAHCIと表記されます。

通称はアカデミー、日本では独立時計師アカデミーと言われることが多いでしょう。

会員になる審査にはかなり高いハードルは設定されており、まさに独立時計師の中から選ばれし者の集団が独立時計師アカデミー会員で、その技術力の高さは独立時計師の中でもまれに見るほどのレベルといわれています。

今では高級腕時計の代表的なブランドのひとつになった「フランク・ミューラー」は、創業者の名前がフランク・ミューラーなのはご存知でしょう。

ミューラーも優秀な独立時計師で、かつてアカデミーの会員でもありました。ミステリーダイヤルやヴェガスなどの独特のメカニズムだけでなく、すべて丸みのあるラインで仕上げたトノーカーベックスのフォルムデザインなど、代表的なブランドになった今でも、独立時計師らしい要素を兼ね備えるブランドとして愛されています。

1985年に組織された独立時計師アカデミーには、たびたび会員が入れ替わりつつ、2017年現在30名の会員、8名の準会員、8名の殿堂入り会員がいます。

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独立時計師アカデミーには日本人会員もいる

現在の30名の会員のうち、2名が日本人の独立時計師です。

菊野昌宏氏

日本から始めて独立時計師アカデミー会員になったのが、菊野昌宏氏です。

2011年に準会員、2013年に正会員になりました。当時はまだ30歳の若さでのアカデミー入りで、時計業界では話題になりました。さらに驚くのは、菊野氏の経歴です、自衛隊で銃器の管理をしていて、器用さが際立っていたそうですが、時計作りの道を志したのは、退官後2005年の専門学校への入学からでした。わずか6年ほどで独立時計師アカデミー入りを果たしたことになります。

菊野氏は、直接注文を受けて年間に1本のペースで腕時計をつくる、ほぼ完全マニュファクチュールの独立時計師として有名です。

世界で唯一無二の制作の物語だからこその価値を持つ腕時計をつくるためのこだわりが、完全マニュファクチュールに至っています。完成品には、制作途中に菊野氏本人が撮影した画像を集めたフォトブックが添えられます。

かつて和時計の分解調査プロジェクトに関わったことから、手作業での和時計造りを目指し始めた菊野氏の作品は、和のテイストと機構をふんだんに取り入れたものが中心です。

浅岡肇氏

もうひとりのアカデミー入りした日本人独立時計師は、2013年に準会員、2015年には正会員に昇格した浅岡氏です。浅岡氏は、日本では初めての超複雑機構”トゥールビヨン機構”を搭載した高級機械式腕時計を完成させた独立時計師として有名になりました。

ちなみに、“トゥールビヨン機構”とは、振り子が重力で狂うのを避けるために、納めている機構部分を1分間に1回転させる機能のことを指しています。

もともとはプロダクトデザインやグラフィックデザイナーをしていた浅岡氏は、2004年にはデザイナー業の延長で、文字盤を制作していました。トゥールビヨン機構を作るのが難しいというところに惹かれて、自分で作り始めたのが2008年、販売し出したのが2011年でした。

受注生産のほか、企業とのタイアップなどもする浅岡氏ですが、新作を作るには、やはり1年の期間が必要な時も多いようです。

「調和」をテーマにしている浅岡氏の腕時計作りは、制作のプロセス自体も完成品の美しさに含まれているという信念から、独立時計師としての道を選んだそうです。浅岡氏も、完全マニュファクチュールの独立時計師と言えます。

他の有名独立時計師

他の有名独立時計師には、自身のブランドを比較的大規模に展開している時計師もいます。

スヴェン・アンデルセン氏

時計ブランド「アンデルセン・ジュネーヴ」を展開する、アカデミー会員でもあるスイス人のスヴェン・アンデルセン氏は、もともとは世界三大高級時計ブランドのひとつ「パテック・フィリップ」の複雑時計部門で働いていました。

1984年に独立しブランドを創設、独立時計師アカデミー創設メンバーであり、当時からの会員でもあります。また、フランク・ミューラーの師匠としても有名です。ワールドタイム、パーペチュアルカレンダーなどの複雑時計を得意としている独立時計師です。

ヴィンセント・カラブレーゼ氏

独立時計師アカデミーの設立メンバーの一人で、初代会長でもあったヴィンセント・カラブレーゼ氏は、2008年に自身のブランドをブランパンに売却、ブランパンでムーブメントの開発などをしていました。

現在は、2011年に亡くなったアカデミーの時計師ジャン・カゼスの工房を受け継いで、腕時計や壁時計の制作をしています。腕時計に、世界で初めて“トゥールビヨン機能”を取り入れた第一人者として有名です。

フィリップ・デュフォー氏

日本にもファンが多い本人の名前を冠したブランドを持つスイス人のフィリップ・デュフォー氏は、1997年にアカデミー入りを果たしました。ジャガー・ルクトルや天才時計デザイナー、ジェラルド・ジェンタやオーデマ・ピゲなどで経験を積んだ後に独立しています。

2人の時計職人とのチームで構成する自身のブランドでは、年間20数本を制作しています。時刻の鐘の音色で知らせる機構を、世界で初めて作り上げた独立時計師として有名です。

独立時計師についてのまとめ

  • 「独立時計師」とは、メーカーに属さずに個人の小規模工房などで、時計を製作する人のことを指します。一人で腕時計を作る人もいますが、多くの場合にはムーブメントは他社のものを使ったり、ケース部分のみ外注したりするのが一般的です。緻密な作業とデザイン性の高さから、独立時計師の中には年間1本のみの作製の人もいれば、チームで数十本の作成という人もいます。
  • 時計業界でいう「独立時計師」は、独立時計師アカデミーの会員のことを指すことが多いでしょう。世界的な組織で、ハードルの高い審査基準で世界中から選び抜かれた独立時計の師集団です。アカデミー出身の独立時計師として有名なのは、フランク・ミューラーでしょう。1985年に組織された独立時計師アカデミーは、2017年現在30名の会員、8名の準会員、8名の殿堂入り会員がいます。その中には、2名の日本人会員も含まれます。
  • 2013年、日本人で初めて会員になったのは、菊野昌宏氏です。完全マニュファクチュールで複雑かつ美しい和時計の制作で有名な独立時計師です。浅岡肇氏は、2015年に正会員になった、日本で初めてトゥールビヨン機構を搭載した腕時計を制作した独立時計師として有名です。
  • 独立時計師アカデミーの会員には、スヴェン・アンデルセン氏、ヴィンセント・カラブレーゼ氏、フィリップ・デュフォー氏などもいます。